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新潟地方裁判所 昭和50年(ワ)39号 判決

原告

斎藤末吉

被告

渋井堅造

ほか一名

主文

一  被告らは各自原告に対し金二九四万四三七一円および内金二六七万四三七一円に対する昭和五一年七月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の、その一を被告らの各負担とする。

四  この判決第一項は原告において金一〇〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して原告に対し金九四四万六二六一円および内金八八四万六二六一円に対する昭和五一年七月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と第1項につき仮執行宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件交通事故の発生

被告渋井堅造は昭和四七年一二月二八日午後七時三五分ころ、実兄の被告渋井頼雄の保有する普通貨物自動車(新四一す九〇八四号、コロナライトバン)を運転し、時速約七〇キロメートルで新潟市嘉木方面から同市舞潟方面に向つて同市平賀六八五番地先道路上にさしかかつた際、同所は道路が右にカーブしており、従前の速度のままでは左側を進行してカーブを切るのは危険なので、道路右端を右速度のまま進行したため、折から新潟市舞潟方面から同市嘉木方面に向つて道路左端を自転車で走行してきた原告を直前に発見したが間に合わず、原告に自車前部を衝突させた。このため原告は右自動車のボンネツト上に跳ね上げられてフロントガラスから運転席に首を突つ込み、約三〇メートル離れた畑上に投げ出され、脳挫傷、左脛骨腓骨幹部粉砕骨折、右脛骨上端骨折、右頬骨骨折、前頭部顔面打撲切創並挫創、左第二、三、四肋骨骨折、右側頭部挫創、右第三、五中手骨骨折等の重傷を負つた。

2  帰責原因

右交通事故は被告堅造の徐行義務違反、左側通行義務違反の過失により惹起されたものであるから、被告堅造は民法七〇九条により、被告頼雄は本件加害車両の保有者であるから自動車損害賠償保障法三条により、それぞれ原告の蒙つた左記損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 治療費 一三万九七八〇円

長谷川病院における入通院治療費六四万一七八〇円のうち自己負担額二〇〇〇円および自賠責保険給付のあつた五〇万円を控除した残額である。

(二) 慰藉料 二一〇万円

原告は右負傷後直ちに新潟市内長谷川病院に運び込まれ、昭和四八年七月一日まで合計一八六日間の入院治療を余儀なくされ、退院後も同年八月三一日まで通院し、その後マツサージによる治療を受けているが、両足膝の屈伸不十分、右足部の知覚麻痺、右膝下の疼痛等の後遺症(自賠責等級第一一級)に悩まされ、用便にも不自由な状態で、その精神的・肉体的苦痛は甚大で、これを慰藉するには金二一〇万円を要する。

(三) 入院諸雑費 五万五八〇〇円

入院期間中一日三〇〇円の割合による。

(四) 付添看護費用 一万二〇〇〇円

入院期間のうち一〇日間の家族の付添看護費用であり、一日一二〇〇円の割合による。

(五) 退職までの休業補償 一四三万三〇三八円

原告は昭和二三年四月から新潟県大野町郵便局外務職郵便配達業務に従事してきたものであるが、本件交通事故による負傷のため病休・休職となり、前記後遺症のため新潟通信病院健康管理医から自転車による郵便配達業務を継続することは不可能であると診断され、結局昭和四九年六月三〇日同郵便局を退職せざるを得なかつた。原告は本件交通事故時より昭和四八年三月末までは従前と同じ外務職群級別俸給表二級七二号の給与およびこれに伴う諸手当の支給を受けていたが、昭和四八年四月一日の定期昇給時には同俸給表二級七六号に昇給すべきところ、一号少ない二級七五号にとどまつたほか、病休および休職がない場合に受けられる調整額を月三六〇〇円減額され、さらに昭和四八年九月二七日からは給与の六〇%支給となり、昇給もなく、退職手当も減額されるに至つた。

これらのうべかりし休業損失額は次のとおりである。

(1) 昭和四八年分 俸給 一四万七一六五円

扶養手当 二四九七円

諸手当 一八万七九六六円

(2) 昭和四九年分 俸給 三一万六一四〇円

扶養手当 六〇〇〇円

諸手当 一五万四四三〇円

退職手当 六一万八八四〇円

(六) 退職後の逸失利益 五八五万五六四三円

原告は退職時六三歳で本件事故にあわなかつたならば更に二年間は就労可能であつた。郵便局外務職員については満六〇歳になると一応退職を勧奨されるが退職しなければならない法的義務はなく、肉体的精神的に勤務不可能と健康管理医から診断されるまでは勤務可能であり、少くとも原告の退職後二年間の勤務は可能であつた。原告が本件交通事故に遭遇しなければ退職時の給与は月額一三万七〇〇〇円で昭和四九年七月一日から昭和五一年六月三〇日までの二年間に合計四九八万六六七五円の俸給・諸手当と昭和四九年六月三〇日に退職した場合に比較して金八六万八九六八円多い退職手当を得られた筈である。

(七) 弁護士費用 六〇万円

原告は弁護士橋本保則に対し本件の手数料謝金として金六〇万円を支払うことを約して本件訴訟の提起、遂行を依頼した。

そこで原告は既に自賠責保険から後遺症保障として七五万円の給付を受けたので、これを右損害額合計から控除した残損害金九四四万六二六一円とこのうち弁護士費用を除く八八四万六二六一円に対する昭和五一年七月一日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実中原告主張の普通貨物自動車と原告との衝突の事実および被告頼雄が右自動車を保有している事実は認めるが、同項中のその余の事実および第2項以下の事実は全て争う。

2  請求原因第3項の主張については次のとおり反論する。

(一) 請求原因第3項(二)の慰藉料額は入・通院期間にてらし過大であり、九一万五〇〇〇円が相当である。

(二) 請求原因第3項(五)、(六)の逸失利益については、男子の就労可能年数は満六三歳までであるというべきで、原告が満六三歳に達する昭和四八年一一月一六日までの分を計算すべきである。

その間の逸失利益は合計七万三八二八円にすぎない。

仮に原告の就労可能年数が満六五歳までと考えれば、原告が満六五歳に達する昭和五〇年一一月一六日までのうべかりし俸給・諸手当は(A)二七八万八一一七円であるが、原告はすでに六〇歳・六一歳と二回退職の勧奨をうけており、本件交通事故に遭遇した昭和四七年には三回めの退職の勧奨をうけることになつていて、この三回めの勧奨をうけてもなお退職しない場合には爾後勧奨退職の優遇措置は与えられないものであるから、満六五歳に達した時点で退職した場合には普通退職としての退職手当(B)五一一万五九一五円が支給されるにすぎない。そして原告は昭和四九年六月三〇日に勧奨退職して(C)六六四万三六二〇円を受領ずみであるから、結局原告の逸失利益は(A)+(B)-(C)として算出される一二六万〇四一二円である。

三  抗弁

1  過失相殺

原告は本件交通事故発生当時暗夜にもかかわらず、道路交通法五二条、同法施行令一八条一項五号により公安委員会の定める燈火を点灯せず、黒つぽい着衣をつけて自転車を走行させ、被告堅造による原告の発見を遅らせ、かつ原告自身前方注視を怠り、避譲の措置をとらなかつた過失がある。

その過失割合は三〇パーセントを下らないから、損害賠償責任および額を算定する際に過失相殺として斟酌すべきである。

2  原告の請求する治療費一三万九七八〇円は郵政省共済組合が原告に給付ずみで原告の被告らに対する損害賠償請求権は国家公務員共済組合法四八条一項により右共済組合に移転しているから、原告からの被告らに対する請求は失当である。

3  原告が自認するとおり自賠責保険から治療費として五〇万円、後遺障害に対する給付として七五万円が原告に支払われているほか、被告らは原告に対し既に付添費(含食費)として四一万〇六三〇円、交通費及びマツサージ代として合計三一万六八九〇円、入院中の個室負担金一三万〇九四〇円、治療費として直接病院に支払つた分として二五万円、雑費として五〇〇〇円、自転車修理費として一万八七五〇円、合計一一三万二二一〇円を弁済済みである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁第1項の過失相殺の主張は争う。原告が無燈火で自転車を運転していたのは事実であるが、本件交通事故の発生に寄与した過失ではない。

2  抗弁第2項の主張は争う。原告は郵政省共済組合から医療給付六四万一七八〇円を受けたが、自賠責保険から填補された五〇万円および自己負担額二〇〇〇円を控除した残額については同共済組合から原告に返還請求をしているのである。

3  抗弁第3項の主張は争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  成立に争いない甲第一号証ないし第四号証、第一〇号証ないし第一二号証、証人斎藤ミヨの証言、原告・被告堅造各本人尋問の結果を総合すると、昭和四七年一二月二八日午後七時三五分ころ、新潟市平賀六八五番地先の幅員約三・五五メートルの道路上で、自転車に乗つていた原告と被告堅造運転の普通貨物自動車(新四一す九〇八四号)とが正面衝突する交通事故が発生したこと(衝突の事実は当事者間に争いがない)、右交通事故の態様は、被告堅造が右自動車を運転して新潟市嘉木方面から同市舞潟方面に向つて見通しのよい、右カーブになつている道路上を時速約四五キロメートルで直進し、右地点に差しかかつたころ、カーラジオの音量調整に気をとられて前方注視を怠り、右手のみでハンドルを操作していた過失により、自車が道路右側を進行しているのに気づくのが遅れ、折から無燈火で自転車を運転し、道路左側端を対面して進行してきた原告を約二・九メートル前方に迫つてはじめて発見し、急制動の措置をとる暇もなく自車を原告に正面衝突させ、原告をボンネツト上に跳ね上げたまま路肩から落ちて畑中を約二七メートル進行してようやく停止し、その場に原告を落下させたというものであること、右衝突の結果原告は脳挫傷、左脛骨、腓骨幹部粉砕骨折、右脛骨上端骨折、右頬骨骨折、前頭部顔面打撲切創並挫創、右側頭部挫創、左第二、三、四肋骨骨折、右第三、五中手骨骨折の傷害を受けたこと、原告は右傷害の治療のため右事故当日より昭和四八年七月一日まで新潟市内長谷川病院に入院し、退院後も同年八月三一日まで通院加療を要し、その後マツサージによる治療を受けたが、両足膝の屈伸不十分、右足部の知覚麻痺、疼痛等の後遺症が残り、用便にも不自由な状態であること、以上の各事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右の認定した事実によれば、本件交通事故は主として被告堅造の右過失により惹起されたものであることは明らかであるが、原告においても夜間無燈火で自転車を運転し、対向車からの発見を遅らせた点において本件交通事故の発生に寄与した過失が認められるというべきである。そして右認定した事実関係からすれば、被告堅造と原告との各過失の割合は被告堅造八・五に対し原告一・五とみるのが相当である。

次に被告頼雄が右自動車の保有者であることは当事者間に争いがない。

したがつて、被告堅造は民法七〇九条により、被告頼雄は自動車損害賠償保障法三条により本件交通事故による原告の損害を賠償すべき責任があるといわなければならない。

二  損害額について検討する。

1  治療費等の積極損害

成立に争いない甲第五号証によれば長谷川病院における治療費は六四万一七八〇円であつたこと、成立に争いない乙第二号証ないし第二一号証によれば右病院の入院個室負担費用が一三万〇九四〇円であつたこと、成立に争いない乙第六号証によれば入院一部負担費用として一八六〇円の支出があつたこと、成立に争いない乙第二号証ないし第二一号証、第三六号証ないし第四七号証によれば、付添費として食費を含め四二万七六三〇円の支出があつたこと、成立に争いない乙第一号証の二、第二二号証ないし第二五号証、第一一七号証、第一五四号証、第二〇〇号証によれば診断書作成費用として五〇〇〇円の支出があつたこと、成立の争いない乙第二六号証ないし第三五号証、第九一号証、第一〇四号証、第一一七号証、第一二八号証、第一四一号証、第一五四号証、第一六九号証、第一八九号証、第二〇〇号証、第二一五号証によればマツサージ代として七万八〇〇〇円の支出があつたこと、成立に争いない乙第四九号証によれば自転車代として二万四八〇〇円の支出があつたこと、成立に争いない乙第五〇号証ないし第九〇号証、第九二号証ないし第一〇三号証、第一〇五号証ないし第一一六号証、第一一八号証ないし第一二七号証、第一二九号証ないし第一四〇号証、第一四二号証ないし第一五三号証、第一五五号証ないし第一六八号証、第一七〇号証ないし第一八八号証、第一九〇号証ないし第一九九号証、第二〇一号証ないし第二一四号証、第二一六号証(乙第九一号証、第一〇四号証、第一一七号証、第一二八号証、第一四一号証、第一五四号証、第一六九号証、第一八九号証、第二〇〇号証、第二一五号証はこれらと重複するものと認められる)によれば長谷川病院への通院、マツサージのための通院などのため合計二二万九二九〇円のタクシー代を支出したこと、

の各事実を認めることができる。次に先の認定にかかる原告の傷害の程度および入院期間に照せば原告が右入院期間中諸雑費として一日三〇〇円を下まわらない支出を要したものと推認できるから、入院一八六日に対して合計五万五八〇〇円の入院諸雑費の支出があつたものというべきである。また証人斎藤ミヨの証言によれば原告の妻である同人が事故当日から一〇日間原告に付添看護しなければならなかつた事実が認められ、家族の付添看護費用としては一日当り一二〇〇円を下まわらないものと認められるから、一〇日間に対して合計一万二〇〇〇円の家族付添看護費用があつたものというべきである。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。右の各支出・費用を合計すれば一六〇万七一〇〇円であるが、右各証拠と証人斎藤ミヨの証言、原告本人尋問の結果に照せば、これらの支出はいずれも本件交通事故と相当因果関係にあり、かつ相当の損害額というべきである。

2  逸失利益

(一)  昭和四九年六月三〇日(退職時)までの給与(俸給・諸手当)の逸失分について

証人塚田徳直、同清水美代子の各証言、証人清水美代子の証言により真正に成立したと認める甲第六号証、成立に争いない甲第一三、一四号証、第一五号証の一、二、第一六号証ないし第二〇号証、当裁判所の信越郵政局人事部長宛調査嘱託に対する回答書(乙第二一七号証、以下単に回答書という、ただし、後記措信しない部分を除く)、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、次の各事実を認めることができる。

(1) 原告は明治四三年一一月一七日生れの男子で、昭和二三年四月に採用されて以来本件交通事故に遭遇するまで外務職の郵便配達部門の公務員として自転車による郵便物の集配達業務に従事し、新潟県大野町郵便局に勤務してきたもので、その勤務ぶりは普通の平均的なものであつたこと、本件交通事故による負傷のため原告は右の勤務ができなくなり、一八〇日間の病気休暇をとつた後昭和四八年六月二七日付で休職となり、結局昭和四九年六月三〇日付で勧奨に応じ退職したこと、その間の給与についてみると、昭和四八年三月三一日までは従前と同様の外務職群級別俸給表二級七二号の俸給八万九六〇〇円、調整額四八〇〇円、扶養手当その他の諸手当の支給を受けていたが、昭和四八年四月一日の定期昇給時には外務職二級七五号に昇給し、調整額四八〇〇円を含め一〇万八四〇〇円とその他の諸手当の支給をうけるようになつたこと、しかし昭和四八年六月二七日付で休職を命じられ、同年九月二七日からは給与その他諸手当の六〇パーセントの支給となり、同年一〇月一日以降は調整額も三六〇〇円減じられ、昭和四九年四月一日の定期昇給時に外務職二級七七号に昇給して以降はその六〇パーセントの支給をうけるに至つたこと。

(2) ところで本件交通事故による負傷のなかつた場合を考えてみると、平均的な勤務ぶりであつた原告については昭和四八年四月一日の定期昇給時には外務職二級七六号(調整額を加えて一〇万九〇〇〇円)となり、また休職を命じられて俸給その他諸手当の支給を六〇パーセントに減らされることもなく、調整額を三六〇〇円減額されることもなく、昭和四九年四月一日には外務職二級八二号に昇給していた筈であると推認されること。

(3) これらの退職時までにうべかりし給与その他の諸手当(ただし退職手当を除く)と原告の支給をうけた給与その他諸手当とを比較すると前掲甲第六号証によれば、その差額は昭和四八年分では俸給一四万七一六五円、扶養手当二四九七円、その他諸手当一八万七九六六円、昭和四九年分では俸給三一万六一四〇円、扶養手当六〇〇〇円、その他諸手当一五万四四三〇円、以上合計八一万四一九八円に達すること。

以上のとおり認められ、右認定に抵触する限度においては信越郵政局人事部長の回答書の一部は、措信しえないというほかない(回答書別紙2「俸給支給額変動調書」中の「病休及びこれに伴う休職がないと仮定した場合の俸給額」欄、「病休及び休職処分に伴う俸給月額」欄の昭和四八年四月一日、昭和四九年四月一日に対応する記載部分には、いずれも原告主張のとおり病休及びそれに伴う休職がない場合の調整額四八〇〇円を加算すべきであるのに、調整額として一二〇〇円のみ加算している誤りがあることは、証人清水美代子の証言、甲第一五号証の二の「精算額算出要領」の記載中昭和四八年九月分として「俸108,400」、昭和四八年一〇月分として調整額が三六〇〇円減らされて「俸104,800」とされていることに徴し明らかである)。他に右認定を左右しうるに足る証拠はない。

右認定した事実によれば、原告が本件交通事故に起因して蒙つた昭和四九年六月三〇日までの給与(俸給・諸手当、ただし退職手当を除く)の逸失分は八一万四一九八円と認められる。なお、退職手当の逸失分については次に検討する。

(二)  昭和四九年七月一日以降に対応する逸失利益について

証人塚田徳直、同清水美代子の各証言、前掲調査嘱託に対する信越郵政局人事部長の回答書ならびに弁論の全趣旨によると、原告は国家公務員であつて定年制はないが、これに代る機能を果すべく勧奨退職の制度があり、勧奨に応じて退職する場合には退職手当の算定上有利に扱われるが、これを拒否する場合には以後の定期昇給はあつても退職手当の算定は普通退職としての取扱いになること、後者の場合には肉体的・精神的に勤務不可能と健康管理医から診断されるまでは勤務できる筈であるが現実には外務職としては満六五歳が限度とされていること、退職の勧奨は通例三回まで行われ、これを拒否すると以後普通退職として取扱われるのが一般の例であること、原告についても六〇歳時、六一歳時にすでに第一回め、第二回めの退職の勧奨が大野町郵便局長によつてなされ、昭和四九年五月に第三回めの勧奨がなされ、新潟逓信病院の健康管理医による検診の結果においても外務職は不適当と判定されたため、原告は勤務の意欲はあり、家庭の事情からできれば勤務を継続したいと考えていたが、やむなく勧奨に応じて退職するに至つたこと、以上の各事実を認めることができる。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の認定した事実によると、原告は本件交通事故に遭遇しなければ、昭和四九年六月三〇日に退職することなく、その後も普通の成績をもつて勤務を継続し、定期昇給等も行われ、満六五歳に達する昭和五〇年一一月一六日までひきつづき外務職の郵便配達部門の国家公務員として勤務し、同日限り普通退職した筈であるといえるから、この間に得べかりし給与(俸給その他の諸手当)と満六五歳時における普通退職による退職手当との合計額と原告が昭和四九年六月三〇日に勧奨退職して受領した退職手当額との差額が、昭和四九年六月三〇日以降にうべかりし利益として検討されなければならない筋合である。

(1) 昭和四九年七月一日以降のうべかりし給与額

前掲各証拠と証人清水美代子の証言により真正に成立したと認められる甲第八号証の記載によれば、原告は昭和四九年七月一日以降昭和五〇年三月末日までは、昭和四九年四月一日に昇給すべかりし外務職二級八二号の俸給とこれに伴う諸手当の支給をうけるべきものであつたといえるから、俸給(含調整額)として一二四万七四〇〇円、扶養手当として二万七〇〇〇円、その他の諸手当として四九万七〇八一円以上合計一七七万一四八一円がこの期間のうべかりし給与額と認められる。

次に昭和五〇年四月一日から同年一一月一六日までにうべかりし給与額については甲第八号証の記載によりえないものであるから、これを確定するに信越郵政局人事部長の回答書別紙2によることとすると、昭和五〇年四月一日には原告は外務職二級八八号に定期昇給していた筈でその俸給・調整額である月額一五万二六〇〇円と扶養手当月額三〇〇〇円合計一五万五六〇〇円が毎月支給されるべきものであつたと認められる。

したがつてこの間の給与として次の算式により一一七万二一八六円が得られる。

155,600円×(7+16/30=1,172,186円)

そうすると、昭和四九年七月一日から昭和五〇年一一月一六日の間にうべかりし給与額は二九四万三六六七円というべきである。

(2) 昭和五〇年一一月一六日の普通退職による退職手当額前掲信越郵政局人事部長の回答書によれば、原告は昭和四九年六月三〇日の退職時二五年九月の勤務年月数と算定されているから、昭和五〇年一一月一六日での勤務年月数は二七年二月であると認められ、退職時の給与額一五万二六〇〇円に右回答書別紙1「退職手当支給率早見表」の二七年二月に対応する乗率をもつて算出すると、昭和五〇年一一月一六日に原告が普通退職した場合の退職手当としては次のとおり五一一万五九一五円が得られる。

152,600円×33.525=5,115,915円

(3) 原告が昭和四九年六月三〇日に支給をうけた退職手当

右回答書によると原告が勧奨退職して得た退職手当額は六六四万三六二〇円であると認められる。

以上のとおりであつて、原告が昭和四九年七月一日以降ひきつづき満六五歳に達するまで勤務し、普通退職した場合のうべかりし給与額、退職手当額と原告が昭和四九年六月三〇日に支給をうけた退職手当額との差額は一四一万五九六二円となり、これが昭和四九年七月一日以降に対応する本件交通事故による原告の逸失利益であるというべきである。

(2,943,667円+5,115,915円)-6,643,620円=1,415,962円

(三)  (一)で得られた退職時までの逸失利益と(二)で得られたその後満六五歳に達するまでの逸失利益との合計額が、原告の本件交通事故による逸失利益というべきであるから、結局逸失利益は合計二二三万〇一六〇円である。

814,198円+1,415,962円=2,230,160円

3  慰藉料

前記認定にかかる原告の負傷の程度、後遺症の状況その他諸般の事情を総合すれば原告の蒙つた精神的・肉体的苦痛を慰藉するにこれを強いて金銭をもつて換算すれば二〇〇万円(負傷による入・通院分として一〇〇万円、後遺障害に対する分として一〇〇万円)に相当すると認められる。

三  過失相殺

一において認定したとおり原告の本件交通事故に寄与した過失は一五パーセントと認められ、これを過失相殺として相殺するときは被告らが負担すべき損害賠償額は前認定にかかる積極損害一六〇万七一〇〇円、逸失利益二二三万〇一六〇円、慰藉料二〇〇万円以上合計五八三万七二六〇円の八五パーセント、即ち四九六万一六七一円というべきである。

四  損益相殺、一部弁済

1  自動車損害賠償責任保険から治療費として五〇万円、後遺障害補償として七五万円の給付をうけたことは原告の自認するところであり、成立に争いない甲第五号証によれば郵政省共済組合から医療給付として一三万九七八〇円の支給があつた事実が認められ、以上合計一三八万九七八〇円を損益相殺すべきものである。なお、郵政省共済組合からの医療給付については国家公務員共済組合法四八条一項により原告が給付をうけた限度において被告らに対する損害賠償請求権を右共済組合が取得するのであるから、右共済組合から被告らに対して請求するは格別、原告の被告らに対する請求権の存在する余地はないというほかない。

2  成立に争いない乙第一号証の二、第二号証ないし第二一六号証、証人三輪泉、同斎藤ミヨの各証言と原告本人尋問の結果によると、被告らから付添費三五万四五八〇円、その食費代七万三〇五〇円、入院個室負担費一三万〇九四〇円、入院一部負担費一八六〇円、診断書料五〇〇〇円、マツサージ代七万八〇〇〇円、タクシー代二二万九二九〇円、自転車代二万四八〇〇円、以上合計八九万七五二〇円の一部弁済がなされたことが認められ、他に右認定を左右すべき証拠はない。

五  弁護士費用

前記三で算出した過失相殺後の被告らの負担すべき損害賠償額から前記四で認めた損益相殺、一部弁済額を控除すると、次のとおり残存する損害額として二六七万四三七一円が算出される。

4,961,671円-(1,389,780円+897,520円)=2,674,371円

そして原告が弁護士橋本保則をして本訴を提起遂行していることは当裁判所に顕著であり、原告が手数料兼謝金として六〇万円を支払う旨約していることは弁論の全趣旨によつて認められるところであるけれども、本訴の訴訟物価額、難易度その他諸般の事情を併せ考えると、被告らにおいて負担すべき、本件交通事故と相当因果関係があると認むべき弁護士費用としては、右のとおり算出された損害額の約一〇パーセントである二七万円が相当というべきである。

六  結論

結局被告らの負担すべき損害賠償額は二六七万四三七一円と二七万円との合計額二九四万四三七一円となるから、原告の本訴請求は右金二九四万四三七一円および内金二六七万四三七一円に対する弁済期日の後であることの明らかな昭和五一年七月一日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとする。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 池田真一)

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